必要とされるより必要とできる人に
人の批判は簡単
女子高生の支援で活躍するある方のブログを拝見しました。自分の行った先生向けの講演会で校長先生はじめ何人かの先生が寝ていたとのこと。そういう先生たちと関わらなくてはならない女の子たちがかわいそう。講演会に呼んでくださった先生に校長室を案内されたが辞退した・・・というようなことが書いてありました。
1支援者として、「こんな人たちが先生として接している女の子たちがかわいそう!」と怒りたくなる気持ちはわかる。
でも、実際に女子高生や子どもと長い時間共に過ごしているのは「先生」であるということを忘れていないだろうか。
ブログで先生批判をすることは簡単だと思う。でも、その記事を読んだ女子高生が「やっぱり先生はあてにならない!」と思ってしまったら、学校はますます彼女たちにとって居心地が悪い場所となり「大人は信用できない!」という不信感を植え付けることに繋がるのではないか。
支援者として求められることは「先生に味方になってもらう」という視点ではないかと考えました。支援者が支援対象者に対峙するのは、その方の生活の中でほんの一部分に過ぎない。大切なのは、自分と会っていない時間以外の生活を想像すること。
また、もしかしたらダメな大人はいるかもしれない。
それでも、そういう人も子どもたちにとって必要な大人なんだと思います。
その上で自分が何をするのか・・・・・
そのようなジレンマを感じるのも支援者には必要なことなのだと考えました。
ひきこもることの必要性について
日本子どもソーシャルワーク協会主催のソーシャルワーク講座に参加してきました。
前半は理事長の寺出さんのお話
後半は精神科医の高岡健さんの少年事件に関するお話
寺出さんのお話からは支援につく者としての「あり方」の重要性を認識しました。
★「どういう立場で関わるのか」ということを自分自身に問い、そして自分自身がその問いに答えるということ。
★支援者としてできることは「受け止め手」になるくらいしかできない。それでもその受け止め手になることが生きる力になること
★支援する人と支援される人は水平の関係であること
★支援者として大切なことは「学び続けること」
実践と学びは両輪であることをお話され、具体的にはD.ウィニコット、芹沢俊介さん、高岡健さんのお名前を挙げられていました。
D.ウィニコット
「Being」は「Doing」に先行しなければならない
→子どもにとってはまず「ある」という存在感覚が根差さなければならない。
現代の日本では子どもたちの「ある」が脅かされる状況になっている。
「存在論的ひきこもり」
社会の中において「何かしている(例えば学校に行く、勉強するなど)自分でなければ認められない」という考え方がひきこもりの状態を否定し、「ひきこもり=治療の対象」という考え方を生み出している。
しかし人間は引きこもりながら生きていく。こもることで自分を立て直す。
子どもたちは自分を守るために引きこもる。
親にできることは正しい引きこもりをするための環境を整えること。
後半の高岡先生のお話
★少年犯罪が関係性の貧困から起きている
★少年犯罪の厳罰傾向が強まっていること、発達障害を犯罪の原因とすることで本当の問題が
隠れてしまっていること
などが中心でした。
存在論的ひきこもりの話の時には、「孤独になれる人が本当の意味で強い人」だということを
本で読んだことを思い出しました。
「みんなと仲良くしなくてならない」「みんな平等に」など子どもたちは
無言の圧力を抱えながら生活をしているのだと思います。
学校になじめない方がまともなのではないでしょうか。
・「ひきこもりは悪いこと」という認識を外すことの難しさ
・学校に代わる子どもの生き方を承認する場所のなさ
また新たなテーマを自分の中にいただきました。
人事が納得する志望動機について
大学生の就職支援のお仕事をしていた関係で
先日、キャリアカウンセラー仲間との勉強会をおこないました。
テーマは「志望動機」
就職活動をおこなう大学生が一番悩み苦しむのが志望動機の作成ではないでしょうか。
ちまたには就活本なる本があふれ返っており、良いとされる文章例なども載っています。
そのような文章例を見て、ハードルの高さを感じ躊躇してしまう学生も少なくありません。
では「読み手側の人事はどこを見ているのだろうか」「私たち支援者が大学生にアドバイスする際に何を見てあげればいいのだろう」と現場での悩みを共有し、勉強会をおこなうことになりました。
共有したことは・・・・・
その会社を志望する理由は何でもいい。人事側の納得を得られるかどうか。
その「納得」を得るのは「理由(根拠)」
例えば・・・・
会社の魅力→「チャレンジ精神を重視しているところがいい」
理由 →「部活の経験からチャレンジして結果を出せたことがとてもうれしかったから
働くならチャレンジできる環境がいい!」
「共感ポイント+理由」を学生さん自身が自分の言葉で語れるように支援できるといいねということを共有しました。
一方でたくさんの会社の説明会に行き、たくさんの会社に応募をしないとなかなか結果が得にくい今の大学生の就職活動の現状では、「この会社にすごく行きたい!というわけではない・・・」というのが学生の本音だよね・・・という話も出ました。
ナビサイトの普及は「どの会社にも挑戦できる!」という希望を与えたのかも知れませんが、就職活動のハードルをあげてしまい、学生を悩ませるものになってしまったのではないかと思います。
(東京大学の本田由紀先生が、そのあたりのことを本でまとめていらっしゃいますね。)
学生に「がんばれ」と言うだけではなく、大人が作り出してしまったもの、大人としての責任もしっかり認識していきたいと思いました。
障害は環境がつくる
社会福祉相談援助実習が終わりました。
私が行った施設は就労継続A型事業所でした。
A型事業所では雇用契約を結んでいる為、利用者はお給料を得ています。
私が実習をした施設では、利用者さんは障害者福祉施設での清掃と洗濯業務に取り組んでいました。
私も実際に利用者のおこなっている仕事をさせてもらいましたが、
時間と品質を求める仕事内容で最初の10日間は終わったらぐったりでした。
「障害のある人が働く場所」という認識しかなかった私の見方がまず大きく変わりました。
すごく大変な仕事なのに、働いている利用者の方たちはとてもイキイキしている・・・・
「なんでだろう?」からスタートした実習でした。
実習が進んでいくと、利用者さんたちが施設を利用するまでの背景が見えてきました。
障害があるが故に圧倒的な社会経験の乏しさからうまく人間関係を作れない、身の回りのことをする生活スキルが身についていない・・・・・
障害があるが故に「できない子」として育てられ、親や周りの人から責任や役割を与えられてこないで育ってきていること・・・・・
だから今「役割」と「責任」を与えられていることに「やりがい」を感じているのだと・・・・。
そしてもうひとつ思ったことは・・・
障害があろうがなかろうが「必要とされること」は生きていくうえで必要なことなのだということ。
障害があるから障害者なのではなく、環境によって障害が作られていること。大きな気付きをさせていただいた。
「自立支援とはなんなのだろう」「よりよく生きるとは何か」を考えることができた実習でした。