立場と目的からやるべきことを考える
昨日はキャリアコンサルタントの先輩と定期的におこなっている自主勉強会の日でした。キャリコンのお仕事をしているときに、「現場での自身のカウンセリングの振り返りをする場所がない!」と感じた私は、キャリアコンサルタントの師匠にご相談して、自分の振り返りの場所として勉強会を企画することになりました。勉強会をおこなうようになって4年目に突入しました。高校のキャリア教育の現場で出会った方たちですが、普段はキャリアセンターで学生の就職活動の支援をしている人、大学で授業をしている人、小学校・中学校で英語教育に携わっている人、社労士、社会人の就職相談など様々です。
始めた当初から「専門家としての向上」を目標に掲げ、勉強会を開催しています。
昨日は「ケースディスカッション」をおこないました。
どの現場でも出会うだろう固有のニーズを持つ相談者に対して、それぞれの立場・所属する機関ではどのような支援・手立てが考えられるかを考え、意見を出し合いました。
ひとつは、発達障害がある若年層
もうひとつは、留学生
最後に、キャリアセンターでよくありがちな学内推薦枠の話題を取扱い、
キャリア支援に携わる者としての資質についての話になりました。
勉強になったことは、「立場によって、目的が異なる」。
それによって、やるべきことの軸が見えてくるということです。
様々な立場で働いている人がいるからこそ、同じ事例でも考え方が違うことを学びました。
私はいまスクールソーシャルワーカーのお仕事をさせていただいています。
仕事では教員の方と仕事を進めることが多くありますが、なんとなく教員とはものの見え方が違うと感じていました。
教員の方が仕事において重視していること、福祉の人間が重視していることは違います。違う視点を持った大人同士がいるからこそ、子どものための環境を整えていけることを改めて感じることができました。
ライフステージとしての不登校・ひきこもり
「子どもが不登校やひきこもりになったらなるべく早く介入して外に出す」という方法でひきこもりとその家族を支援する人たちの言い分とはまったく逆の立場で、「不登校・ひきこもりをライフステージと捉え、「ひきこもりをどう見るのか」を提示。
「みんな一斉がいい」という学校教育の流れの中では、矛盾を感じて学校に行きたくないと思うことのほうが健康的な姿だと。
時々欠席したり遅刻したり、小さくひきこもっていきながら自分の時間を大切にするという生き方が必要なのだということが全般にわたって書かれていました。
深く同意したのですが、その中でも印象に残った箇所が下記です。
〇不登校・ひきこもりのゴールは学校復帰や社会復帰、就労ではないこと。
「点で考えていた思考が平面で考えられるようになった時」
「立体的に自分で考えられるようになった時」が彼らの喜びになるのではないか。
社会参加しようしまいと就労をしようしまいと「自分の考えが広がる時が必ず来る」「人生の幅を広げていく時が必ず来る」
〇ひきこもりの中には過去の自分を遡って、自分の小さいころの傷付きに収れんしていき、身動きが取れなくなってしまう人がいる。
→他者の参照をして自分を見出していく方法。
小説の中や映画の中の人生を通して自分を見つめなおしていくことにより、傷つきに収れんしていく痛々しさを相対化していくことができる。
〇支援に携わる人ができることは無条件に認めるたった一人の存在になること。
大事なのは「斜めの関係」
社会の中で地位がある人よりも尊敬されていない人がいい。なぜなら後ろから見守る関わりができるから。
点で考えていた思考が平面で考えられるようになった時・・・・
私の弟の姿を通して納得することができました。
私の弟は大学を中退したあと仕事につきましたが、3年ほど勤めて退社。
その後3年間ひきこもっていました。食事も部屋で済ませ、家族とも会話をしないようになりました。
家族から見ると何を考えているのかがわからず、怠け者にしか見えずとても悩み苦しみ、やきもきしました。しかし、父も母も弟には何も言わず、見守っていました。
ひきこもり始めてもうすぐ3年という時に弟がアルバイトを始めました。リビングに置いてあった郵便局の募集チラシをみたようでした。そのアルバイトを始めてから、何がどう変化したのかわからないのですが、目標を自分で見つけて職業訓練校に通い始めたのです。
職業訓練校に通っている今、週5日の授業の合間に早朝、深夜のアルバイトをして、家にお金を入れてくれています。人付き合いも積極的になり、学校の先生に可愛がられクラスメイトともよくごはんに行っています。なまけ者だと思っていた私たち家族は弟の変貌っぷりにびっくり。
最近になって、あの3年間のことをぽつりぽつりと話すようになったのですが、「自分にとって本当に必要な3年間だった」と言っています。何気ない言葉のひとつひとつが的を得ていて私と母が「なるほど」と納得することも多く・・・。ひきこもりという期間が充実していたから人生を深く見つめられたのだなぁと。
無駄な時間を過ごしているかに見えるひきこもりや不登校。ひきこもっている期間にも、ちゃんと人生を生きていること。エネルギーを溜めている期間なのだと信じ切ることが大切なのだと学ぶことができました。
びっくり!・・・なことから学んだこと
先日知り合った方とこんなやりとりがありました。
ソーシャルワークカフェ
先日、NPO法人 Social Change Agency主催のソーシャルワークカフェに参加してきました。
嬉しい瞬間
先日は、たくましく社会人経験を積んでいる女子と楽しくランチ会をしました。
彼女は、以前働いていた現場で関わっていた学生さんで、大学4年生の時から相談にのっています。
就職活動をしているときは、「何をしたいのかわからない」と悩み、就職活動に行き詰っていました。一緒に考え、行動を見守っていく中で、地元では有名な製造業に就職することができました。
卒業したあとも、何かあると連絡をもらって、時には相談にのっていました。
今年、社会人3年目を迎えた彼女。会社での自分の立ち位置や上司との関係に悩んでいましたが、自分なりに考えて実行にうつしてみたところ少しだけ方向性が見えてきたそうです。
嬉しかった言葉をもらいました。
本当はもっと早く私に連絡しようと思っていたそうです。しかしいまここで私に連絡してしまったら甘えてしまうと思った。まずは自分なりに考えてみようと思ったそうです。
何かあるとすぐに私に連絡をしてきた彼女が、自分で考えようと思ったこと。
成長しているんだなぁととてもうれしく感じました。
そして、仕事はどちらかというと結婚までの腰掛けくらいだった彼女が、仕事の質や効率、会社の行く末まで考えていました。
一歩踏み出したら自分の足で歩き始めることができること。
大切なことを改めて感じさせてもらいました。
支援者としてできることは「その一歩」を踏み出すまで、共に考え、伴走していくこと。
社会で悩みながらも前進している姿に、私も一社会人、一人間として成長していかなければと気を引き締める思いでした。
相談援助のありかた
『性風俗のいびつな現場』
ようやく読みことができました。
・福祉的な支援を必要とする女性に対してインフォーマル資源を風俗店が担っているという現状を伝えたあと福祉と風俗の連携を提起。
・デリヘルの待機部屋で専門家による相談会を実施した様子を伝え、女性が風俗で働いていることを隠すことなく相談できる環境つくりが必要であることが書かれていました。
読んで感じたことは3つ。
支援を必要としている人ほど繋がりにくい・または公的機関を拒絶する。
繋がっていくためには、やはりこつこつと周りの人と信頼関係を結んでいくしかない。
相談に行っても風俗で働いていることを支援者に話せなかったのなら意味がない。でも、公的機関の人間に対して、自分の現状(社会に対してうしろめたさを感じていること)をすべて話せるということはないと思う。そのことを忘れてはいけないと感じた。
・強みを見いだすという視点
本に登場する経営者の方たちは、心を痛め、なんとかしたいと思われていることが驚きだった。いろいろな事情があって、それでも風俗で働いて現状を打開しようとしていること自体がすごいことで、彼女たちの強みなのだという見方を学んだ。
「風俗店に働かせないようにする」ための支援ではなく、「風俗店で働くという通過点」をどう支援し、その後の生活をどう支援するかが支援者として大切なのだと気づかせていただいた。
・今の生活を変えさせようとすると失敗するということ。
クライアントが今、生活している現実がすべてであることを忘れてはいけないということ。
私が仕事で出会う家庭もはたからみると「なんでこんな生活を・・・・」と自分の尺度で考えて、「改善」をさせようとしてしまいがち。しかし、その生活もクライアントにとっては自分の一部であること。汚くて散らかっている家を綺麗に片づけたところで問題は変わっていない。「まるごと受け入れる」という支援者としての姿勢を改めて認識することができました。
大切にしたいバランス感覚
新年度が始まり、新しい仕事がスタートしました。
今年度はスクールソーシャルワーカーのお仕事を週3~4日程度、発達障害のある学生の支援を週1日させていただくことになりました。
スクールソーシャルワーカーのお仕事で私がお世話になっている自治体では、障害のある子どもや発達の遅れが気になる子どもの支援が充実している自治体です。
別の自治体に住む友人が発達の遅れが少々気になる子どもを持っていることもあり、自治体によってこんなに違うのだと感じています。
躓いてしまう子どもの支援が充実していることはとてもよいこと。
でも、「できないこと」がクローズアップされすぎるのもどうなんだろうと最近考えます。情報がありすぎることで、親の不安を余計あおってしまっている側面もあるのではないかと思います。
障害がある子どもを持つ家庭は大変。
離婚などをしてひとり親になった家庭も大変。
私の周りの友人には、障害や発達の遅れの心配のない子どもを持っている人もいます。
出産と同時に仕事を辞めざるを得なかった人もいて、働きたくても子どもを預ける場所がない、ご主人の給料だけでは生活が苦しいなどで困っています。
そういう人たちからしたら、「私たちだって大変なのよ」という気持ちもあるかもしれません。
ご主人がいて、子どもに障害がない人も大変。
みんな生きることが大変な世の中。
こういうバランス感覚を持っていないと、変な権利主張になりかねないと感じるのです。
クライアント個人を見るときにも同じです。
発達障害、軽度の知的障害を持つ学生は様々なところで躓くかもしれない。
しかし、その「できないこと」が社会の中で暮らしていくうえで大きな弊害になりうるのかどうかをみるバランス感覚ってとても大切なこと。
実習の時にも感じたことですが、現場に入ってみてクライアントに要求していることの妥当性を考えることって大切だと改めて思いました。