たまに真面目なひとり言

真面目なお話たまに好きなものをゆるく語ります

★今年の目標と、、心のありよう★

救急車で運ばれて早1週間。

胃の調子も戻り、喉元過ぎれば、、、じゃないけどあの苦しみがすっかり過去の出来事ににりつつある。。。

救急車に運ばれて2日後に風邪でお世話になるお医者さんに一応診てもらいに行ってきました。そこで胃腸炎ではなく胃潰瘍ということが発覚。

腸炎胃潰瘍では全然違う。。。

胃潰瘍=ストレス、、、??

 

確かに出産してからというもの、体調不良や風邪を何回か繰り返し、そのときに吐くことも。。。

 

今年の目標を「健康」にせざるをえません。

 

胃潰瘍といわれ、確かに慢性的な睡眠不足によりストレスフルな毎日だとは自覚ありますが、それよりも自分の心の持ち方を変えなくてはと思いました。

自分の予定通りには行動できない毎日、一人の時間がなかなか作れない毎日、何を考えてるのかよくわからない生き物を相手にする毎日のなか、知らず知らずのうちに「~べき」「せねばならない」という思考で自分をがんじがらめにしていたかもと反省。

 

先回りしちゃいがちな気持ちを落ち着かせて

場当たりでもいいじゃない、娘が泣いたら都度都度考えればいいじゃない、とゆったりとした気持ちで毎日を過ごそうと思ったのでした。

 

★胃腸炎★

娘の話ではなく私。

昨日、夕方から突然の吐き気、吐き続けること4時間。胃液しか出るものがなく、胃液を出したあとの胃の痛みが尋常ではなく立てなくなり、、、「これはやばい」と。

生まれて初めて救急車で搬送されてしまいました。

毎年年末年始は何か起こるのですが、(昨年は風邪、その前の年は社会福祉士の国家試験、その前の年はインフルエンザ。。)今年は何事もなく終わりそうだと思ってたらまさかの胃腸炎。しかも救急車。

近くに住む両親が飛んできてくれて、母が一緒に救急車に乗り込み、夫は寝ている娘をみていてくれました。実家が近くてほんとにヨカッタ。。。

あいにくベッドの空きがなく点滴を打ってもらい、帰ることになりました。が、夜中も何度吐いたことか。。。ポカリを飲んでは吐きを繰り返し。しかし胃液だけ吐くよりは楽だったのでついポカリを飲む。

明け方にようやく楽になってきました。

 

夜中はリビングに布団を敷き、夫娘と別々に寝たわけですが、、、図らずも夜間断乳をすることに。フラフラになりながら夜中の12時におっぱいをあげ、そのまま娘寝落ち。その後2時過ぎまで何度も目を覚めて泣いてる声が聞こえてきました。いままではおっぱいをあげていたのですが、昨日はそれができずひたすら夫があやしてました。

すると2時過ぎから朝の7時まで熟睡!私ではなく夫が寝かしつけしたほうがよく寝るんじゃないかと、、、。私だとおっぱいをくれるって思っちゃうのかな。

 

娘は生後9ヶ月を迎えました。

離乳食の量が増えたからか昼間におっぱいを欲しがる間隔があき、6時間くらいあくときも。その分、夜中に何度も目が覚めるのは相変わらずで、3時間続けて寝ればいい方というのが続いてます。

朝までぐっすり眠りたいよぅ。。。

 

★ディズニーと私の変化★

とあるアンケートで「変なホテル」宿泊券が当選しました。ホテルの場所がディズニーランドの近くだったことから友達と友達の子ども、私と娘の4人でディズニーランドに行ってきました。ディズニーランドは10年ぶりくらいかもしれません。

友達の子どもは4歳の男の子。天真爛漫なboyです。

友達の家に前泊。前の日に旦那さんが作っておいてくれた豚の角煮をごちそうになり、翌日は旦那さんがディズニーランドまで車で送ってくれました。

 

私、初めてミッキーの家(?)に行きました。ミッキーの家を見学(?)して最後にミッキーと記念撮影ができるとのこと。私たちが行った日は蒸気船ミッキーでした。

 

私、もともとディズニー好きではありません。ディズニー映画よりも宮崎駿でしょ!って思ってしまうし、好きなキャラクターもなし。「よくあんなに混んでる場所に行くよね」と冷めた目でみていたタイプだったのですが、、、。ミッキーと写真撮影したときは嬉しくて、ジワンとした暖かい気持ちに!なんだろう、子どもが産まれたからでしょうか。そんな自分の変化にびっくり。

娘に着せてきた洋服だと寒くて急遽買ったプーさんのフリースと帽子のおかげで若干コスプレ状態になったこともよかったです。

 

ベビーセンターもフル活用。

夕方、離乳食と授乳のためにワールドバザールのベビーセンターに入りましたが、人で溢れていたのでトゥーンタウンのベビーセンターに移動。トゥーンタウンのベビーセンターはがらがらでゆっくりごはんを食べさせ、オムツ替えができました。


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夜は変なホテルに宿泊。

恐竜が出迎えたくれた以外は普通の綺麗なホテルでした。


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子育てって性格がでる。。。

11月7日に無事生後7ヶ月を迎えました。

子育てをしていると自分の性格をこれでもかって思い知らされる気がします。。

私はすぐに「先のことを考えてしまう」。今朝はめずらしく朝から娘がぐずぐず。朝御飯や離乳食の準備をするためにそばを離れるだけで泣き出すので、ちょっと大変でした。頭によぎったのは「明日の朝、どうしよう」。いかんいかん。明日はまた明日、その時考えよう!って脳内リセットをしたのでした。

 

7ヶ月に入る少し前に安定してお座りができるようになっていたことに気付き、

いつのまにかずりばいで行動範囲が広がっていたり、

いろいろな高さの声でたくさんおしゃべりするようになってたりで娘が急激に変化をしてます。

 

今週は近くの図書館で月に一回おこなわれている読み聞かせの会に行ってきました。

なんだかんだで3回目です。

「しましまぐるぐる」以外の絵本にも興味を示すようになってしたので絵本を借りて帰ってきました。

 


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読んであげるときゃっきゃっと大喜び。猫や犬の鳴き声のところでは嬉しそうに私の顔を振り返ります★





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いろんな絵本、読んであげよ。

そして、今日はリトミックに参加してきました。ピアノに合わせて体を動かしたり、娘もとても楽しそう。私もとても楽しかったです。

 

 

 

弟への感謝

弟のことはいつも両親の悩みでした。

大学を辞めてから10年以上、不登校きみの頃から数えたらもっとか。弟を巡っては家族の衝突もありました。弟を責めてしまったこともありました。弟が前の会社を辞めてから、両親は本当に何も言わなかったのです。忍耐強く見守り続けました。

それ以上に自分の弱さに向き合い続けた弟は本当にすごいです。

 

私は不登校の子どもの支援の仕事をさせてもらっていました。子育てが一段落したらまた仕事を再開したいと思ってます。

これまで、学校段階で支援することで予防できることがあるのではないかと考えていました。しかし、弟のことを通して、不登校やひきこもりってその人の人生にとって必要な過程なんじゃないかって思うようになったのです。

 

否定するものではなくその子にとって必要な過程と考えたら、支援職としての関わり方も変わります。

何よりも弟は「人生いつからでもスタートできる」ということを教えてくれました。

子どもが不登校やひきこもりで悩んでいるお母さんに「大丈夫です」って言ってあげられるという武器をもらいました。

 

弟からたくさんのことを学びました。

ありがとう。

弟のこと~本当の解決とは

さて4月から勤め始めた弟。最初の3ヶ月は研修期間ということでした。働き始めてからは朝5時半に起き、6時半頃出勤。仕事はやはり大変そうでしたが、充実しているのが伝わってきました。(今は別に暮らしてるので週1日か2日程度しか会いませんが)

 

順調にいってると思っていた6月のある日、娘と実家に行くと母から「昨日で仕事辞めてきちゃったのよ」と聞かされたのです。

研修期間が終わる頃、技術職ではなく生産ラインにいってくれないかと言われたそうなんです。入社の時に聞いた話と違うことや、ここ数年入った人のほとんどが辞めてしまっていること、生産ラインにいったとしていつ技術職に戻れるかわからないことを聞き、研修期間での退職を選択したそうです。

 

一瞬よぎった4年前のこと。仕事を辞めてなにもしないで1か月2ヶ月と過ぎていった時のこと。しかし、弟は姉の想像を遥かに越えて進化を遂げてました。

6月で退職すると決まってから家族に伝えるまでの間にすでに7社に応募書類を送っていたのです。「本当は次が決まってから家族に言おうと思っていたんだけど、、、」と。

そして退職して1週間で次の仕事を決めてきました。もちろん資格を取得していたことや電気の求人数が多いことも関係あります。しかしこれまで、考えて考えて考えて動けない弟からは想像もできない行動力です。そのことを伝えると「あの頃の自分には戻りたくなかった」と話していました。弟は働きながら上級資格を目指していきたいと考えているそうです。だから仕事内容は妥協したくなかったようでした。

 

この弟の姿を見て、「あぁ、弟は乗り越えたんだなぁ」って実感しました。この先の人生も多分いろいろなことがあると思います。でも弟はもう大丈夫って心の底から思いました。

 

弟は言ってました。あの3年間があるから今があると。

中途半端に動いた時はすべてから回ってたんですよね。あの3年間は本当に何もやらなかったんです(家族からはそう見えただけで、いろいろ考えてたんだと思いますが)。

 

続く

 

弟のこと~ひきこもりが終わるとき②

弟は技術を身に付けようと考えたそうです。私が社会福祉士の資格を取得したことやその話をしたことを弟なりに考えたみたいでした。弟は理系の大学に進学した自分の経歴を考え、電気工事士の資格取得を目指すことにしました。この資格にたどりつくまでも、多分私が想像する以上に考えて考えて考え抜いたのだと思います。

 

県の職業訓練校なので試験もきちんと実施されるということで、弟は真剣に試験勉強に取り組んでました。そして合格し、週5日の職業訓練校に通い始めました。

 

学校というものをやりきった経験のない弟。母と私は「通いきれるのか」と心配していました。

が!心配は無用でした。

1年間無遅刻無欠席、しかも成績優秀者として表彰されて卒業したのでした。自転車でこけて足を捻挫したときも休まず!

学校が終わったあとはスーパーでバイトをし、土日の昼間は派遣のバイトをし、家に生活費をきちんと入れてくれました。

 

11月にはには大手食品製造会社の技術職として内定を得ることができたのです。

 

またなんと!彼女もできました。純朴そうな可愛らしい娘さん。

 

学校に通い始めてからの弟は本当にいきいきとしてました。忙しい生活の合間に、学校の先生とゴルフ行ったりクラスメイトとごはんに行くなど人付き合いも積極的になりました。

弟いわく、人との付き合いを避けてしまうのはよくないと思うようになったそうです。

 

家でもよく話すようになりました。学校で学んでいることはもちろん、私達家族にいろいろなことを話すように。本来の明るさを取り戻したような感じでした。

 

弟がなぜ通いきれたのか、、、、おそらく「自分で選んで悩みながらも自分で決めた」からではないかと思います。これまでの弟は、何がしたいのかわからなくて立ち止まってしまっていたのだと思います。大学中退や職場での人間関係のこじれなどで挫折感も味わっていたのだと思います。

そして弟の話を聞いて知ったことは、人の言葉が弟に届いていたということ。

家族の言葉はもちろん、就職の面接で面接官に言われた言葉や郵便局での出会い。それらの人の言葉が弟に考えるきっかけを与えていたことを知りました。

あの3年間のひきこもり生活があったからこそ、職業訓練校での1年間では人の話を素直に受け止め、学校でもバイト先でも人に可愛がられ、これまで出会った人たちからの言葉を活かしきり、自分の道を手繰り寄せることができたのではないかと思います。

 

続く