たまに真面目なひとり言

真面目なお話たまに好きなものをゆるく語ります

ひきこもることの必要性について

日本子どもソーシャルワーク協会主催のソーシャルワーク講座に参加してきました。

前半は理事長の寺出さんのお話
後半は精神科医の高岡健さんの少年事件に関するお話

寺出さんのお話からは支援につく者としての「あり方」の重要性を認識しました。
★「どういう立場で関わるのか」ということを自分自身に問い、そして自分自身がその問いに答えるということ。
★支援者としてできることは「受け止め手」になるくらいしかできない。それでもその受け止め手になることが生きる力になること
★支援する人と支援される人は水平の関係であること
★支援者として大切なことは「学び続けること」
実践と学びは両輪であることをお話され、具体的にはD.ウィニコット芹沢俊介さん、高岡健さんのお名前を挙げられていました。


D.ウィニコット
「Being」は「Doing」に先行しなければならない
→子どもにとってはまず「ある」という存在感覚が根差さなければならない。
現代の日本では子どもたちの「ある」が脅かされる状況になっている。

「存在論的ひきこもり」
社会の中において「何かしている(例えば学校に行く、勉強するなど)自分でなければ認められない」という考え方がひきこもりの状態を否定し、「ひきこもり=治療の対象」という考え方を生み出している。
しかし人間は引きこもりながら生きていく。こもることで自分を立て直す。
子どもたちは自分を守るために引きこもる。

親にできることは正しい引きこもりをするための環境を整えること。

後半の高岡先生のお話


★少年犯罪が関係性の貧困から起きている
★少年犯罪の厳罰傾向が強まっていること、発達障害を犯罪の原因とすることで本当の問題が
隠れてしまっていること

などが中心でした。

存在論的ひきこもりの話の時には、「孤独になれる人が本当の意味で強い人」だということを
本で読んだことを思い出しました。
「みんなと仲良くしなくてならない」「みんな平等に」など子どもたちは
無言の圧力を抱えながら生活をしているのだと思います。
学校になじめない方がまともなのではないでしょうか。

 

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

 

・「ひきこもりは悪いこと」という認識を外すことの難しさ

・学校に代わる子どもの生き方を承認する場所のなさ

また新たなテーマを自分の中にいただきました。