たまに真面目なひとり言

真面目なお話たまに好きなものをゆるく語ります

個別スーパービジョン

昨日は、個別スーパービジョンを受けてきました。

実際に担当しているケースをひとつ取り上げ、みっちり2時間!

学校に戻すことがゴールではないSSW 活動の中で、何を目指すのか
○学習の機会の確保
○居場所の確保

先生との関係性
○喜びを共有する関係性
○先生と言い合える関係性

「自分に思いをかけてくれる大人をひとりでも造りたい!」という信念


そんなことを実際のケースの話をしながら話し合いました。

スーパービジョンを受けて感じたことは
私、なんか縮こまってたなぁということ。
SSW は立ち位置難しいし、しゃしゃり出れない。いなくてもあまり変わらないって思うようにして傷付くことを恐れてたかも、って思いました。

もっともっとできることある。
縁した子どもの可愛さを知るためにできることたくさんある。
そう思えた2時間となりました。

ありがたいことです。

私がいただいたことを子どもに返していきたいです。

場の力を借りる

スーパーバイズの先生が年に2回、職場内で研修をしてくださることになっているのですが、先日その1回目がありました。

1回目は他職種の方や職員さんに「スクールソーシャルワーカー(SSW)とは何をする人なのか?」というお話をしてくださり、そのあとSSWと懇談の時間を持ってくださいました。

 

先生の話はどれも大事なお話だったのですが、その中で特に勉強になったのは1対1の関係性だけではなく、グループワークなどを取り入れて、学校のパラダイム変換を促す関わり方。

子どもと接する場所、子どもに関係が深い場所(職員室や地域のとある集会所、家などなど)をやわらかくて暖かい場所にしていくこと。

大人同士が険悪で、どうして子どもが笑顔になれるか??ということだと思います。

 

私が現在関わっているお子さんに、学校の先生が行っても布団の中に逃げてしまう子どもがいます。

そのお兄ちゃんの件でも活動をしているのですが、先日お兄ちゃんの先生と一緒に家庭訪問をしました。お兄ちゃんの学校の先生は当初、生徒に関わることに消極的ではなかったのですが、お兄ちゃんの気持ちやすごいところを学校の先生に伝える!ということを継続して取り組んでいました。

ある出来事をきっかけにお兄ちゃんの学校の先生が家庭に来てくださることになりました。

 

学校に若干見放された気持ちを持っていたお父さんもお母さんもニコニコ

お兄ちゃんも自分のことをたくさん褒めてくれることにニコニコ

その先生のキャラクターも手伝い、笑いがたくさん起こる時間となりました。

 

すると、いつもお客さんが来ると2階に引っ込んでしまう弟がふらっとリビングに降りてきたんです。

 

「あれ?先生が来ているはずなのにお父さんもお母さんも楽しそうだぞ」という気持ちが働いたのかもしれません。

大人同士が楽しく話しているーそのことが子どもの心に変化をもたらすのだなと感じました。

 

変わるべきは大人なんですよね。そんなことを学ばせていただきました。

 

 

 

 

 

 

立場と目的からやるべきことを考える

昨日はキャリアコンサルタントの先輩と定期的におこなっている自主勉強会の日でした。キャリコンのお仕事をしているときに、「現場での自身のカウンセリングの振り返りをする場所がない!」と感じた私は、キャリアコンサルタントの師匠にご相談して、自分の振り返りの場所として勉強会を企画することになりました。勉強会をおこなうようになって4年目に突入しました。高校のキャリア教育の現場で出会った方たちですが、普段はキャリアセンターで学生の就職活動の支援をしている人、大学で授業をしている人、小学校・中学校で英語教育に携わっている人、社労士、社会人の就職相談など様々です。

 

始めた当初から「専門家としての向上」を目標に掲げ、勉強会を開催しています。

 

昨日は「ケースディスカッション」をおこないました。

どの現場でも出会うだろう固有のニーズを持つ相談者に対して、それぞれの立場・所属する機関ではどのような支援・手立てが考えられるかを考え、意見を出し合いました。

ひとつは、発達障害がある若年層

もうひとつは、留学生

 

最後に、キャリアセンターでよくありがちな学内推薦枠の話題を取扱い、

キャリア支援に携わる者としての資質についての話になりました。

 

勉強になったことは、「立場によって、目的が異なる」。

それによって、やるべきことの軸が見えてくるということです。

 

様々な立場で働いている人がいるからこそ、同じ事例でも考え方が違うことを学びました。

私はいまスクールソーシャルワーカーのお仕事をさせていただいています。

仕事では教員の方と仕事を進めることが多くありますが、なんとなく教員とはものの見え方が違うと感じていました。

教員の方が仕事において重視していること、福祉の人間が重視していることは違います。違う視点を持った大人同士がいるからこそ、子どものための環境を整えていけることを改めて感じることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライフステージとしての不登校・ひきこもり

高岡健さんの「不登校・ひきこもりを生きる」を読みました。

「子どもが不登校やひきこもりになったらなるべく早く介入して外に出す」という方法でひきこもりとその家族を支援する人たちの言い分とはまったく逆の立場で、「不登校・ひきこもりをライフステージと捉え、「ひきこもりをどう見るのか」を提示。

 

「みんな一斉がいい」という学校教育の流れの中では、矛盾を感じて学校に行きたくないと思うことのほうが健康的な姿だと。

時々欠席したり遅刻したり、小さくひきこもっていきながら自分の時間を大切にするという生き方が必要なのだということが全般にわたって書かれていました。

 

深く同意したのですが、その中でも印象に残った箇所が下記です。

  〇不登校・ひきこもりのゴールは学校復帰や社会復帰、就労ではないこと。

「点で考えていた思考が平面で考えられるようになった時」

「立体的に自分で考えられるようになった時」が彼らの喜びになるのではないか。

社会参加しようしまいと就労をしようしまいと「自分の考えが広がる時が必ず来る」「人生の幅を広げていく時が必ず来る」

 

〇ひきこもりの中には過去の自分を遡って、自分の小さいころの傷付きに収れんしていき、身動きが取れなくなってしまう人がいる。

→他者の参照をして自分を見出していく方法。

小説の中や映画の中の人生を通して自分を見つめなおしていくことにより、傷つきに収れんしていく痛々しさを相対化していくことができる。

 

〇支援に携わる人ができることは無条件に認めるたった一人の存在になること。

大事なのは「斜めの関係」

社会の中で地位がある人よりも尊敬されていない人がいい。なぜなら後ろから見守る関わりができるから。

 

点で考えていた思考が平面で考えられるようになった時・・・・

私の弟の姿を通して納得することができました。

 

私の弟は大学を中退したあと仕事につきましたが、3年ほど勤めて退社。

その後3年間ひきこもっていました。食事も部屋で済ませ、家族とも会話をしないようになりました。

家族から見ると何を考えているのかがわからず、怠け者にしか見えずとても悩み苦しみ、やきもきしました。しかし、父も母も弟には何も言わず、見守っていました。

ひきこもり始めてもうすぐ3年という時に弟がアルバイトを始めました。リビングに置いてあった郵便局の募集チラシをみたようでした。そのアルバイトを始めてから、何がどう変化したのかわからないのですが、目標を自分で見つけて職業訓練校に通い始めたのです。

職業訓練校に通っている今、週5日の授業の合間に早朝、深夜のアルバイトをして、家にお金を入れてくれています。人付き合いも積極的になり、学校の先生に可愛がられクラスメイトともよくごはんに行っています。なまけ者だと思っていた私たち家族は弟の変貌っぷりにびっくり。

最近になって、あの3年間のことをぽつりぽつりと話すようになったのですが、「自分にとって本当に必要な3年間だった」と言っています。何気ない言葉のひとつひとつが的を得ていて私と母が「なるほど」と納得することも多く・・・。ひきこもりという期間が充実していたから人生を深く見つめられたのだなぁと。

 

無駄な時間を過ごしているかに見えるひきこもりや不登校。ひきこもっている期間にも、ちゃんと人生を生きていること。エネルギーを溜めている期間なのだと信じ切ることが大切なのだと学ぶことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校・ひきこもりを生きる

不登校・ひきこもりを生きる

 

 

びっくり!・・・なことから学んだこと

先日知り合った方とこんなやりとりがありました。

まず自己紹介で名前を伝えたあと、いきなり「お前は見た目も若そうだから、福祉の経験ないだろ!!この仕事関係は経験しかないんだ!」と頭ごなしに言われました。(確かに私は童顔ですし、それがコンプレックスでもあるのですが・・・・)
その方、他の人にも同じ口調で同じことを言っておりました。
 
そのあと、「福祉には勘とひらめきしかない!」「俺には経験で培ってきたものがある!」みたいなお話をひたすら聞いておりました。
具体的にどういうことかお聞きすると「説明はできない!」と。
培ってきた経験によるので言葉にして説明することが難しいそうです。
ここで、私も黙ってやり過ごせばいいのに、メラメラと闘志が、、、はい、大人げなかったと反省です。
「言語化しないと後輩に方法が伝わっていかないですよ~。もったいない!」とお伝えすると、言語化なんてできない!とのことでした。
 
たしかに、対人援助職は、暗黙知によるところが多く、言葉で伝えるのって難しいことがあります。
 でも個人の経験値に委ねるだけではそれは専門職とはいえないのではないだろうかということを考えました。
相手が人なので予測がつかないこともあると思いますが、
「見立てをして、その見立てから計画を立て、方法を考え実行する。」「その方法がよくても悪くてもしっかり評価をして自分なりの答を出していく。」
 
その積み重ねをしていくのが専門職としての責務ではないかと、、、、
価値をみずから発信していく努力をしなくてはならないと思うのです。

 
ー根拠と見立てー
行き当たりばったりにならないように自分に厳しくしていきたいです。

ソーシャルワークカフェ

先日、NPO法人 Social Change Agency主催のソーシャルワークカフェに参加してきました。

 
ソーシャルワーカーのことを正しく伝えられないもどかしさを共有し、なぜ伝えたいのか、どうしたら伝えられるかを考えようという主旨で企画されたもの。
 
ワールドカフェ的に進められました。
 
参加者の多くが医療現場で働いている方で、普段教育や障害者分野で働く人たちと接することが多いので、とても勉強になりました。
 
 
話し合いをするなかで、感じたことは、
自分の経験を積み重ねていき、ふりかえる中でしか専門性は磨かれないのではないかということ。そしてその経験が実践知となっていき、言語化されていくのかなぁと思いました。だから、ひとりひとりソーシャルワーカーの定義って違ってていいんですよね。
 
 
ソーシャルワーカーは何をしてくれる人なのか、、、、。多職種と連携協力しながら仕事を進めなければならない現場では、確かに役割の明確化が難しいのだと思う。
 
何のために自分たちがいるのかを自分の立場で常に問い続けていく姿勢が求められるのかとも思いました。自分の立場でいいのだと思います。
「営業」という仕事が業種、お客さんによって仕事内容が違うようにソーシャルワーカーも対象者、場所によって違うと思うので。
 
最後に
ソーシャルワーカーという言葉だけを一人歩きさせてはいけないとも感じた日でした。
 
基本は、ソーシャルワーカーは誰がやってもいいと、私は思います。
クライアント、私であれば関わる子どもがいまよりハッピーになるのであれば、誰がやってもどんな方法でもいいのかなと、改めて感じた1日でした。
 
とりあえず読みかけになってる「専門家の知恵」を読もう、、、
 

 

 

 

専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える

専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える

 

 

 

 

 
 

嬉しい瞬間

先日は、たくましく社会人経験を積んでいる女子と楽しくランチ会をしました。

彼女は、以前働いていた現場で関わっていた学生さんで、大学4年生の時から相談にのっています。

就職活動をしているときは、「何をしたいのかわからない」と悩み、就職活動に行き詰っていました。一緒に考え、行動を見守っていく中で、地元では有名な製造業に就職することができました。

卒業したあとも、何かあると連絡をもらって、時には相談にのっていました。

 

今年、社会人3年目を迎えた彼女。会社での自分の立ち位置や上司との関係に悩んでいましたが、自分なりに考えて実行にうつしてみたところ少しだけ方向性が見えてきたそうです。

嬉しかった言葉をもらいました。

 

本当はもっと早く私に連絡しようと思っていたそうです。しかしいまここで私に連絡してしまったら甘えてしまうと思った。まずは自分なりに考えてみようと思ったそうです。

 

何かあるとすぐに私に連絡をしてきた彼女が、自分で考えようと思ったこと。

成長しているんだなぁととてもうれしく感じました。

 

そして、仕事はどちらかというと結婚までの腰掛けくらいだった彼女が、仕事の質や効率、会社の行く末まで考えていました。

 

一歩踏み出したら自分の足で歩き始めることができること。


大切なことを改めて感じさせてもらいました。

支援者としてできることは「その一歩」を踏み出すまで、共に考え、伴走していくこと。


社会で悩みながらも前進している姿に、私も一社会人、一人間として成長していかなければと気を引き締める思いでした。