支援者として成長するために

真面目な仕事のお話&ときどき好きなものをゆるく語ってます

★スタジオアリスからのお食い初め★

先週の日曜日に生後100日を迎えました。

100日のお祝いにスタジオアリスで写真を撮ってもらうことに。こんな機会もなかなかないので、お互いの両親に来てもらい家族写真を撮ることにしました。

 

和装でのお食い初めの写真、家族写真、洋装での写真の三種類で撮影スタート。

寝起きの娘はご機嫌でカメラマンさんのあやす声に笑顔炸裂。その様子を見ていたじじばば、私と夫は大盛り上がり。

ご機嫌だったので写真撮影は30分ほどで終割り、購入する写真を選んだあとは私の実家に移動し、お食い初めをおこないました。

 

お食い初めも午前中の写真撮影の話で大盛りあがり。あのときの顔が可愛かったとか、スタジオアリスのカメラマンのあやしかたがすごいとか。両親同士が顔を合わせる機会ってなかなかないものですが、共通の経験を共有するのっていいなぁって思いました。ただのお食い初めのお食事だったらこんなに盛り上がってなかったかもしれません。

娘は何が起きてるのかわかってませんが、孫パワーはすごいです。

 

スタジオアリスは衣装5着くらい勧めてきますが、5着着てできた写真をみたらどれも欲しくなってしまう、、、。それが戦略なのだと思いますが、私は3着でちょうどよかったと思いました。

 

娘は人見知りが始まったみたいです。

ご機嫌ななめのときは夫、じじばばが抱っこしても泣き止みませんが、私が抱っこしたとたんにピタッと泣き止みます。娘の進化は止まりません。

 

 

★初めておもちゃを握った★

ここ2~3日、自分の顔の前で自分の手をもみもみするようになりました。ガーゼやおくるみを握ってハムハムすることも。試しにおもちゃを目の前で振ってみたら自分からおもちゃを握りました。これまではおもちゃには関心を示しませんでしたが、オーボールをふんふん振り回したり。

 

泣きかたもバリエーションがさらに増えました。「一人にするな!」と怒りながら泣いたり、「抱っこ~」と甘えるような泣きかただったり。毎日毎日新たな反応が追加されていくような感じです。赤ちゃんの進化はほんとにすごいです。

 

そして、念願の外食デビューを果たしました。初めての外食は母と3人で近所の洋食屋さんに。ベビーカー仕様の建物ではなかったのですが、店員さんが気を遣ってくださりました。娘はおめめぱっちりでしたが、食事が終わるまでベビーカーの上で大人しくしてくれていました。デザートを食べるときになってばあばに抱っこしてもらいましたが、「ぶりぶりっ!」と豪快な音が、、、、。

 

こじんまりとした洋食屋さんで、トイレにおむつ台がなかったので食べ終わったら急いで自宅に。

 

その次はベビー休憩室のある百貨店内のレストランに夫と。このときは途中からぐずったので抱っこしながらごはんを食べました。

「泣けば抱っこすればいっか」とだんだん図々しくなれてきました。母も子どもと一緒にたくましくならねば、ですよ。

 

★生後3ヶ月★

7月7日に生後3ヶ月を迎えました。

セルフねんねを1日に何回もするようになりました。それだけで、とても楽をさせてもらってます。夜中の授乳は大体1回、昼間は2~3時間おきです。昼間よく寝ているせいか、夜寝る前にぐずります。とうとう添い乳に手を出してしまいました。娘はおっぱいくわえながら寝落ち。私も寝落ち。

最近の変化は、、、 

○声を掛けるとよく笑うように。満面の笑顔でにこーってします。たまに声をあげて笑います。あとおしゃべりも多くなりました。

○足を持ち上げてバタバタする 

○両手をあげる。ファイティングポーズのよう。

○首すわりまでもう少し。うつぶせにすると顔を持ち上げます。

 

3ヶ月を前にベビーカーデビューをしました。目指せ!カフェデビューということで、この土日でまずはフードコートのようなざわざわしたところでご飯を食べてみました。レストランなんて入って泣かれたら慌ててしまうと思うので。。。夫と私がごはん中は起きていましたが、大人しくしていました。

 

先日、予防接種の帰りに近くのスーパーに夫と3人で行きました。途中からぐずり始め、お会計をする頃には泣き出してしまいました。しかし、ベビーカーが動いていると泣き止む娘。こういう時に限ってレジが混んでいたりして、私のお会計中夫はベビーカーを押しながらレジの回りをうろうろ。レジの回りを何回もぐるぐる。店員さんに怪しげな目で見られてました。

 

そんな娘もベビーカーに慣れてきたのか、揺れが気持ちいいのか、大人しく乗っていられるようになりました。

 

カフェデビューも近いかな。

 

 

 

 

 

弟への感謝

弟のことはいつも両親の悩みでした。

大学を辞めてから10年以上、不登校きみの頃から数えたらもっとか。弟を巡っては家族の衝突もありました。弟を責めてしまったこともありました。弟が前の会社を辞めてから、両親は本当に何も言わなかったのです。忍耐強く見守り続けました。

それ以上に自分の弱さに向き合い続けた弟は本当にすごいです。

 

私は不登校の子どもの支援の仕事をさせてもらっていました。子育てが一段落したらまた仕事を再開したいと思ってます。

これまで、学校段階で支援することで予防できることがあるのではないかと考えていました。しかし、弟のことを通して、不登校やひきこもりってその人の人生にとって必要な過程なんじゃないかって思うようになったのです。

 

否定するものではなくその子にとって必要な過程と考えたら、支援職としての関わり方も変わります。

何よりも弟は「人生いつからでもスタートできる」ということを教えてくれました。

子どもが不登校やひきこもりで悩んでいるお母さんに「大丈夫です」って言ってあげられるという武器をもらいました。

 

弟からたくさんのことを学びました。

ありがとう。

弟のこと~本当の解決とは

さて4月から勤め始めた弟。最初の3ヶ月は研修期間ということでした。働き始めてからは朝5時半に起き、6時半頃出勤。仕事はやはり大変そうでしたが、充実しているのが伝わってきました。(今は別に暮らしてるので週1日か2日程度しか会いませんが)

 

順調にいってると思っていた6月のある日、娘と実家に行くと母から「昨日で仕事辞めてきちゃったのよ」と聞かされたのです。

研修期間が終わる頃、技術職ではなく生産ラインにいってくれないかと言われたそうなんです。入社の時に聞いた話と違うことや、ここ数年入った人のほとんどが辞めてしまっていること、生産ラインにいったとしていつ技術職に戻れるかわからないことを聞き、研修期間での退職を選択したそうです。

 

一瞬よぎった4年前のこと。仕事を辞めてなにもしないで1か月2ヶ月と過ぎていった時のこと。しかし、弟は姉の想像を遥かに越えて進化を遂げてました。

6月で退職すると決まってから家族に伝えるまでの間にすでに7社に応募書類を送っていたのです。「本当は次が決まってから家族に言おうと思っていたんだけど、、、」と。

そして退職して1週間で次の仕事を決めてきました。もちろん資格を取得していたことや電気の求人数が多いことも関係あります。しかしこれまで、考えて考えて考えて動けない弟からは想像もできない行動力です。そのことを伝えると「あの頃の自分には戻りたくなかった」と話していました。弟は働きながら上級資格を目指していきたいと考えているそうです。だから仕事内容は妥協したくなかったようでした。

 

この弟の姿を見て、「あぁ、弟は乗り越えたんだなぁ」って実感しました。この先の人生も多分いろいろなことがあると思います。でも弟はもう大丈夫って心の底から思いました。

 

弟は言ってました。あの3年間があるから今があると。

中途半端に動いた時はすべてから回ってたんですよね。あの3年間は本当に何もやらなかったんです(家族からはそう見えただけで、いろいろ考えてたんだと思いますが)。

 

続く

 

弟のこと~ひきこもりが終わるとき②

弟は技術を身に付けようと考えたそうです。私が社会福祉士の資格を取得したことやその話をしたことを弟なりに考えたみたいでした。弟は理系の大学に進学した自分の経歴を考え、電気工事士の資格取得を目指すことにしました。この資格にたどりつくまでも、多分私が想像する以上に考えて考えて考え抜いたのだと思います。

 

県の職業訓練校なので試験もきちんと実施されるということで、弟は真剣に試験勉強に取り組んでました。そして合格し、週5日の職業訓練校に通い始めました。

 

学校というものをやりきった経験のない弟。母と私は「通いきれるのか」と心配していました。

が!心配は無用でした。

1年間無遅刻無欠席、しかも成績優秀者として表彰されて卒業したのでした。自転車でこけて足を捻挫したときも休まず!

学校が終わったあとはスーパーでバイトをし、土日の昼間は派遣のバイトをし、家に生活費をきちんと入れてくれました。

 

11月にはには大手食品製造会社の技術職として内定を得ることができたのです。

 

またなんと!彼女もできました。純朴そうな可愛らしい娘さん。

 

学校に通い始めてからの弟は本当にいきいきとしてました。忙しい生活の合間に、学校の先生とゴルフ行ったりクラスメイトとごはんに行くなど人付き合いも積極的になりました。

弟いわく、人との付き合いを避けてしまうのはよくないと思うようになったそうです。

 

家でもよく話すようになりました。学校で学んでいることはもちろん、私達家族にいろいろなことを話すように。本来の明るさを取り戻したような感じでした。

 

弟がなぜ通いきれたのか、、、、おそらく「自分で選んで悩みながらも自分で決めた」からではないかと思います。これまでの弟は、何がしたいのかわからなくて立ち止まってしまっていたのだと思います。大学中退や職場での人間関係のこじれなどで挫折感も味わっていたのだと思います。

そして弟の話を聞いて知ったことは、人の言葉が弟に届いていたということ。

家族の言葉はもちろん、就職の面接で面接官に言われた言葉や郵便局での出会い。それらの人の言葉が弟に考えるきっかけを与えていたことを知りました。

あの3年間のひきこもり生活があったからこそ、職業訓練校での1年間では人の話を素直に受け止め、学校でもバイト先でも人に可愛がられ、これまで出会った人たちからの言葉を活かしきり、自分の道を手繰り寄せることができたのではないかと思います。

 

続く

弟のこと~ひきこもりが終わるとき①

以前ブログで軽く触れたことのある弟のこと。私の弟は約3年の間、働かず家にいました。弟は小学生まではとても活発で、明るい子どもでした。そんな弟が中学生のある時期から学校を休みがちになりました。やっとの思いで高校に入り、これまたやっとの思いで大学に進学。浪人、留年ののち大学を中退しました。その後、仕事を見つけますが人間関係のこじれ(話を聞いてるといじめに近いような)で1週間で退職。空白期間をへて父のつてで仕事を再開しました。その間の弟は楽しそうではなく、義務感で仕事をしているような印象でした。家でもあまり話しませんでした。よく言っていたのは「自分がぎりぎり生活できるだけのお金があればいい」。目標とかやりがいとかそんな言葉は弟を追いつめるようでした。

3年間続けたその仕事を辞めてからひきこもりのような生活になりました。

 

大学を中退した時や一番最初に会社を辞めたあとの空白期間の時、責めてしまったことで頑なになってしまったことがあったので、今回は父も母ももちろん私も何も言わず見守り続けました。

部屋にこもりがちといっても買い物で外出はするし、学生時代の友達とたまに食事にいってました。

 

家で過ごしはじめてまもなく3年になろうとするときに、母が何気なくリビングに置いた郵便局アルバイトのチラシを見てアルバイトを突如始めた弟。そのアルバイトがきっかけになって、就職活動を開始します。しかし、しばらく活動したあと学校に通いたいと言い出したのです。その思いを父と母に話し、県の職業訓練校を受験することになりました。

そのときすでに34歳。弟の願いを受け入れた父と母にあっぱれです。

とにかくそのあたりから弟は変わりました。

 

続く